二状態系の典型として電子(electron)のスピンがある。 電子は光と同じように空間中の波動として振舞う。 この扱いについては後の章で示すが、電子はさらにスピン(spin)と呼ばれる 内部状態を有する。 スピンの生じる機構は、現在でも、完全には解明されていないが、 角運動量(angular momentum)を生じることから、恐らく、電子自身の 自転のようなものではないか、と推定されている。 有限の大きさの電荷が自転すると、ループ電流が流れ、磁気モーメントが 生じるが、それと同じように、電子も、スピンに対応した磁気モーメントを 持つ。 従って、磁界中に電子を置くと、スピンの方向により、電子は異なる エネルギーを持つ。 これを利用して、電子のスピン状態を測定することができる。 このようにして調べると、電子のスピンは、光の偏光と同様に、二次元の 基底状態で表すことのできることがわかる。
この二つの状態の電子は、どんな電界中でもまったく同じように動き、どちらの 状態にいるのかを見分けるのは殆ど不可能である。 しかし、強い磁界の変動のあるところで、二つの状態の電子は、僅かに異なる 運動をする。 その運動を詳しく研究したところ、丁度、電荷を持った小さな磁石のように 振る舞うことが、分かった。 一つの状態の電子は、磁界と平行な方向に磁化しており、もう一つの状態の 電子は、磁界と反平行な方向に磁化している磁石に対応する。
単純な荷電粒子でも、磁界中を走ると、ローレンツ力が垂直に働くが、
停まっているときには、力は働かないはずである。
ところが、電子を、図4.4 (a) に示す
ステルン・ゲルラッハ装置(Stern-Gerlach apparatus)のような磁界勾配を中に入れると、一つの
状態の電子は、下向きに力を受け、少しずつ上昇していく。
もう一つの状態の電子は、下向きに力を受け、少しずつ下降する。
これは、電子が単純な荷電粒子ではなく、磁石のような
磁気モーメント(magnetic momentum)を持っていることを、示す。
事実、これと同様なことは、(b) に示す小磁石を置いた場合にも起こる。
図のような磁石の場合、小磁石の
極が上へ引き上げられる力の方が、
極の受ける下向きの力よりも大きくなり、磁石は上向きの力を
受けるからである。
このようにして、電子は磁気モーメントを持つことがわかる。
それでは、電子は、何故、磁気モーメントを持つのだろうか。
磁気モーメントは、環状電流によって発生するので、電荷が、磁気モーメントの
方向を軸とした、回転運動をしていると考えると、理解しやすい。
幸いにして、電子は電荷を持っているので、これが、ある程度の領域に
拡がっており、全体が自転している、というイメージがよさそうである。
電荷がループ状に運動すると、ループ電流が流れ、磁界が発生するからである。
電子の持つ磁気モーメントは、磁界勾配中での電子の運動から、
測定することができる。
こうして測定された電子の磁気モーメントは、図に示した電子の状態に対し、
ほぼ
[Am
] (図中上向きを正とする)、逆向きの
電子状態に対し、ほぼ
となる。
電子は質量を持っているので、自転運動に対応した角運動量を持つことが
期待される。
この角運動量の大きさは、種々の方法で測ることができるが、例えば、原子と
電子を反応させ、反応前後の原子の角運動量の変化などから、
推定することができる。
の磁気モーメントを持つ電子は、丁度
[Js]
の角運動量を持ち、
の電子は、
の
角運動量を持つ。
このような、自転運動にもとずく角運動量(angular momentum)のことを、特に
スピン(spin)と呼ぶ。
厳密に言うと、この考えには多少問題がある。
全質量
の電子が、空間的に拡がって、一定の角速度で回転しており、
かつ、その各部の密度に比例した電荷密度が分布しており、その電荷密度の
和が
であるようなモデルを考えると、磁気モーメントと角運動量の
比は、丁度
となる。
ところが、実際の電子では、
になっている。
電子に内部構造 (例えば密度と電荷密度が比例しないようなこと) を考えれば、
この二つは一致しなくとも良いが、それにしても、丁度 (厳密には、ほんの少し
異なるが) 1/2 という係数の出てくるのは不思議である。
このように、電子の具体的なモデルについては、まだ良く分かってない。
係数 1/2 の逆数 2 のことを、g 係数(g factor)と呼び、磁性の研究では
重要な量である。
電子が、空間的にループ状に移動する (公転のような) 運動に対して、
係数を求めると丁度 1 となる。
通常観測される磁性(magnetism)である常磁性や強磁性は、ほとんど、電子
スピンの作る磁気モーメントの現れである。
熱運動で、電子スピンが、上を向いたり下を向いたりバラバラな
状態にあるところへ、強い磁界をかけると、磁界の方向にスピンが
整列するようになる過程を、常磁性(paramagnetism)と呼ぶ。
また、スピン同志に、互いに平行になろうとする力が働く場合があり、この
力のため、スピン平行な領域の発生する現象を、強磁性(ferromagnetism)と呼ぶ。
磁性が、このように、角動量と強い関係にあることは、
図4.5のような方法で確かめることができる。
常磁性体を、図のように細い線でつるし、下向きの磁界
をかけた
状態で、静止させる。
このとき、磁性に関与している電子のスピンは、(a) のように上を向き、
上面に
、下面に
が発生して安定となる。
さて、磁界の方向を急激に反転させると、磁石の磁化の方向は、逆の方が
安定であるので、徐々にスピンの向きが反転し、最後には下向きのスピン状態に
変わる。
角運動量は、保存されねばならないから、スピン角運動量の変化した分だけ、
磁性体中のスピン電子以外の部分が逆向きの角運動量変化を受け、回転を
始めることとなる。
磁性体の磁化から推定した磁気モーメントと、磁性体の回転速度から推定した
角運動量の比は、多くの重要な磁性体の場合、ほぼ
となり、
磁性が電子のスピンに起因していることを示す。
電子に限らず、陽子(proton)や中性子(neutron)、さらに大きな原子やさらに
大きなコマといったあらゆる粒子や物体が、角運動量を持っている。
適当な軸のまわりの角運動量を測ると、陽子や中性子は電子と同じように
と
の二つの値しかとらないが、粒子や
物体によっては、もっといくつかの値をとったりする。
しかし、すべての角運動量に共通な性質がいくつかある。
一般に、全角運動量と、角運動量の
成分は、
、
の記号で
表されるが、粒子の自転運動に起因するスピン角運動量(spin angular momentum)については、
、
が、また、粒子の公転運動に起因する
軌道角運動量(orbit angular momentum)については、
、
の記号が用いられることが
多い。
図4.6 (a)に示すような、
軸から
ずれた
軸のまわりに全角運動量
を持って回転している粒子を考えよう。
軸のまわりの角運動量
を測定すると、古典力学では、図 (a)
のように
となることが、知られている (角運動量は
ベクトルであるから、
は、
から
までの任意の値を、
連続的にとることができる)。
ところが、量子力学では、図 (b) に示すように、まず
そのものに
制限がつき、さらに
も、
おきの値しか
観測されないという、奇妙なことが起こる。
図 (b) では、
であり、
であるから、
となってもよさそうである。
ところが、どのような軸のまわりの角運動量も、前述の規則により、
おきの値しか観測されないので、
を測ると
、
、
、
、
、
の、いずれかが観測されてしまう。
を何度か観測すると、
と
の値が、
比較的高頻度で観測されるような確率分布が得られることになる。
何故、このようになるかについては、後の章で学んでもらいたいが、もう少し
概念的説明を続けよう。
古典的な物体は、勢いをつけて回せば、いくらでも大きな角運動量を
持つことができる。
しかし、余り早いと、遠心力のために物体が破壊してしまう。
量子力学でも同じようなことが起こるようで、粒子が安定に存在できるための
最大の全角運動量がある。
と言っても、素粒子(elementary particle)の場合には、そんなにいくつもの値の
全角運動量がとれるわけではなく、多くの場合、粒子に固有な一つの値しか
許されていない。
この、固有な全角運動量の値を、粒子のスピンと呼び、
で表わす。
表4.1に代表的な粒子のスピンを示す。
ただし、慣例により
の
を示した。
従って、
とは、全スピン
のことである。
質量が有限で、光速以下の速度でしか走れない粒子は、前に示した規則により、
は
から
の、
種類の状態をとり
得る。
しかし、質量 0 で、光速で走る素粒子である、中性微子や光子については、
種類の状態しかとり得ない。
このような素粒子が、何故、固有なスピンを持つかについては、まだ
余りわかっていない。
角運動量
が整数の粒子はボーズ粒子(boson)と呼ばれる。
また、
が半整数の粒子は、フェルミ粒子(fermion)と呼ばれる。
身近なものでは、光子がボーズ粒子であり、電子、陽子、中性子がフェルミ
粒子である。
ボーズ粒子とフェルミ粒子は、それぞれ粒子が一個しかないときには、何も差が
見られないが、粒子が多くなると、両者には明確な差が現れてくる。
図4.7のようにボーズ粒子は、いくつかの粒子が同一の
状態をとることができるのに対し、フェルミ粒子は、一つの状態を一個の
粒子しかとることができない。
例えば、電子はフェルミ粒子であるので、一つの電子が場所
にいて、
上向きのスピン状態をとっていると、同じ場所には、下向きのスピン状態の
電子しか入れなくなってしまう。
従って、多粒子の関与する統計力学などでは、これら二種類の粒子は全く
異なった振舞をする。
|
さて、電子は
であるから、
より、二つのスピン
状態をとることができる。
例えば、図4.4のような、
軸方向の不均質磁界により、
スピン角運動量が、
軸正方向を向いている
(または
とも表す) の状態と、
軸負方向を向いている
(または
) の、二状態を
分けることができる。
したがって、空間的な状態の定まった電子 (たとえば
の電子) と
言えども、さらにスピンに起因する自由度を持つこととなる。
つまり、任意の状態
の電子は
、(ただし
) を与えれば、状態が完全に
決定されることとなる。
しかし、本章では、空間のことを忘れて、議論を進めよう。
いま、勝手なスピン状態
の電子の、
軸方向のスピン
状態を測定すると、
の確率で
状態として観測されるか、
の確率で
状態として観測されるかのいずれかとなる。
何故、このように観測されるのだろうか。
方向、あるいは
方向を向いた電子が、その方向に
観測されるのは、理解できるが、中途半端な方向を向いた電子が、この
二方向のいずれかにしか観測できないのは、いかにも理解しづらい。
しかし、これは観測に基づく事実なのである。
その事実をいかに説明するかが、量子力学に課せられた課題なのである。
任意の偏光を
偏光を
偏光を分波する分析器を通すと、片方にしか
発見されなかったのと同じなのである。
あの場合も、それぞれの出口に、それぞれの確率で発見された。
この場合も、この
方向に方向付けされた測定器を使う限り、二つの
状態のいずれにしか発見されず、それぞれの確率で
発見されることになるのである。
問題4..7
軸正方向を向いているスピン状態
は
状態にどれほどの確率で観測されるだろうか。
また
状態をとる確率を求めよ。
同様に
が
、
をとる確率、
や
が
や
をとる確率を求めよ。
答え
軸正方向と
軸負方向あるいは
軸負方向のなす
角度はいずれも
であり、完全に対称の位置にある。
したがって
が
をとる確率と
が
をとる確率は等しくならなければならない。
つまり共に
である。同様に他のすべての確率も
となる。
それでは、三次元の極座標で表したとき、
、
という
勝手な方向を向いたスピン状態
を考えよう。
この状態も、
軸のまわりの角運動量を測定すると、
、
を、それぞれ、ある確率で取るだろう。
その確率振幅を求めてみよう。
つまり、
、
の、具体的な値を求めるという問題を、考える。
まず、前問より、
、
であるから次のように仮定してみよう。
これらに、任意の位相項がつく可能性があるが、これらの位相を無視しても、
以後の議論は、本質的には変わらない。
は、明らかに、
と異なる状態であり、
である。
かつ、前問より、
、
であるから、例えば、次のように、選ばなければならない
(振幅に、同じ位相項を掛け合わせてもよい)。
電子を、いろいろ回転することを、考えてみよう。
電子を、
軸のまわりに右ねじ方向に
回転する
オペレータを、
としよう。
このように対象を回転するオペレータを回転オペレータ(rotating operator)と呼ぶ。
通常、
は、電子を固定して観測する座標系を
正方向に
回転するオペレータと定義されているので、本書のように
座標系を固定し、電子を
回す場合には
と
表わすことになる。
の電子を、
だけ回すと、
となるから、
次式が成立する。
であるから、さらに
次のようになる。
の電子を
回しても
であり、
の電子を
回しても
であるから
次のようであるかというと、そういうわけにはいかない。
もし、これらの式を、式4.15へ代入すると、右辺は
のままになってしまい、式 4.14と
矛盾してしまう。
この矛盾を救うには、位相回転を導入すれば良いことが、わかる。
どのような位相を導入したらよいのだろうか。
まず次にことに注目して欲しい。
微小な角度
の回転に対し、
だけの
位相変化があったとすると、
の回転に対しては次のような
式が成り立つ。
を2倍にすれば、
も 2 倍となるので、
この結果から類推して、一般の角度
に対する位相変化
は角度に比例すると言える。
同様に、
と
も比例する。
さらに、
と
の差だけが重要となるので、普通
に選ばれることが多い。
結局、次のように置ける。
| (4.16) |
このようにすると、式4.15は、次のように変形できる。
これが、
の状態となるには、
と
の成分が、それぞれ
の比になることが、必要となる。
とすると、ちょうど、
となる。
このようにして、次式が得られる。
なお、
としても、議論が可能であるが、確率計算をしてみると
結果はまったく一致するので、慣習にしたがって
とした。
これより、
と置くことで、改めて
を
求めることができる。
| (4.18) |
は、一般性を損なわないので、式4.13のように
省かれることもある。
軸のまわりに
回す回転オペレータ、
については、どのような関係が得られるであろうか。
この操作は、いままでの
軸に関する操作を、
軸に対して
行っていることになるので、式4.17から推察して、直ぐに、
次の関係を得ることができる。
ここまで準備ができると、勝手な方向
、
を向いた
スピン状態、
の、
、
をとる確率振幅を、求めることができる。
図4.8よりわかるように、
を
軸の
まわりに
回し、次に、
軸のまわりに
回すと、
の状態となる。
つまり、次式が成立する。
| (4.20) |
この式と、式4.17、式4.19を
用いると、
を
と
で表わすことができる。
問題4..8
を
と
で表わせ。
ヒント
その結果は次のようになる。
この式の右辺を長さ 1 の定数
で除しても一般性は
失われないから、次式が得られる。
この式より、
、
、
、
を、改めて求めることができる。
問題4..9 式4.21より、
、
、
、
の、各々の状態に対して、
、
の
成分を求めよ。
ただし、各
成分が、正実数になるよう、適当に
位相調整をしてみよ。
![]() |
(4.22) |
これらの結果をみると、
が一組の
基底状態になるのと同様、
も、もう一組の
基底状態となること、問4.7の各確率が
となることなどがわかる。
以上、電子の
スピン状態について述べたが、スピン 1 の粒子の
振舞は、二つのスピン
粒子の合成で、考えることができるなど、
ここに述べたことが、あらゆるスピンや角運動量の基礎となっている。