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基底状態

光の干渉実験で,「スクリーン上の $z$ の位置にいる、光子の状態」は、 決して別の「$z'$ の位置にいる、光子の状態」とはなり得ない。 $z$$z'$ の位置に、検出器をおいて観測を行う場合、$z$ の 検出器が、光子を検出したのと同時に、$z'$ の検出器が、同じ光子を 検出することは、あり得ない。 無論、光源を強くして、大量の光子を用意すると、$z$$z'$ の 検出器が、殆ど同時に光子を検出することも出てくるが、光子を少なくすると、 上の二つの状態は、明らかに独立であることがわかる。 光の干渉実験では、このように,「互いに独立な状態」が無数に存在する。 そこで、ここでは事態をもっと分かり易くするために、独立な状態が、 二つしかない物理系を考えてみよう。

波長の定まった平面波状の光は、偏光(polarization)と呼ばれる別の自由度を 持つことが、知られている。 このことは、偏光板(polarizer)と呼ばれる一種のフィルタを用いると、容易に、 確かめることができる。 光は、伝搬方向と垂直な、いろいろな方向に振動する波であるが、偏光板を 通ると、一方向の振動の波だけとなる。 図2.1のように、$x$ 方向に振動する光のみを通す 偏光板 ($x$ 偏光板と略す) で、光の振動方向を決めると、この光は、$x$ 偏光板を素通りするが、垂直に置かれた $y$ 偏光板を通ることはできない。 また、$x$ 偏光した光を、$\theta$ だけ回転した $\theta$ 偏光板に 当てると、$\cos^2\theta$ 倍の光が通過してくる。 この際、$\theta$ 偏光板を抜けた光の偏光方向を、第三の偏光板を用いて 調べると、偏光角 $\theta$ であることが知られる。 このように、偏光板は透過量を制御するだけでなく、偏光角を偏光板の方向に 合わせる機能も有している。

図: 光の偏光実験。(a) 透過確率 1、(b) 透過確率 0、 (c) 透過確率 $\cos^2\theta$
\includegraphics{fig/state.polar.eps}

この実験を弱い光で行うと、計数性(countability)が現れてくる。 例えば、図2.1 (c) の実験を行うと、$x$ 偏光板を抜けた 光子は、$\theta$ 偏光板の後に置かれた検出器により、検出されたり、 されなかったりする。 数多くの $x$ 偏光した光子を $\theta$ 偏光板に当てて、抜けてきた 光子の数を計数すると、その割合は、偏光板のないときの $\cos^2\theta$ 倍になっている。

光の偏光には、計数性のみでなく、干渉性(coherency)も現れる。干渉性を 調べるには、光を偏光により、二つの道に分け、再合成してみるとよい。 図2.2に示すように、光を、ガラス表面に適切な角度 (ブリュスター角(Brewstar angle)と呼ばれる) で当てると、$y$ 偏光の光は、 ほとんど反射せずにガラスへ入射し、一方、$x$ 偏光の光は、ほぼ完全に 反射される。 これを利用して、$x$ 偏光と $y$ 偏光を分波することができる。 $x$ 偏光の道と $y$ 偏光の道の長さが、光学的に等しくなるように、 補正したものを「分波器(analyzer)」として、その下に示すような箱で 略記する。 この分波器を 逆にすると「合成器(composer)」を作ることができる。 原理から分かるように、分波した波の片方を吸収して抑えると、 図2.3のように、$x$ 偏光板や $y$ 偏光板と、 等価な役割をする。

図 2.2: 光の分波器と合成器。(a) 分波器、(b) 合成器
\includegraphics{fig/state.two-path.eps}

図 2.3: 光の分波器を用いた偏光器。(a) $x$ 偏光器、(b) $y$ 偏光器
\includegraphics{fig/state.polarizer.eps}

この分波器や合成器を用いると、干渉性を確認する実験を行うことができるが、 その前に、$x$ 偏光や $y$ 偏光の間に成立する重要な性質を 調べておこう。 図2.4 (a) のように、$x$ 偏光した光を分波器に 入れると、光子は必ず $x$ 分岐の方の出口に現れ、$y$ 分岐の方には 現れない。 つまり、$x$ 偏光した光の状態が、$x$ 偏光状態をとる確率 $P(x\rightarrow x)$ は 1 であり、$y$ 偏光状態をとる確率 $P(x\rightarrow y)$ は 0 となる。 したがって、確率の平方根のような概念である確率振幅は、次のようになる。


\begin{displaymath}
\left\langle\left.x\right\vert x\right\rangle =1,\qquad \left\langle\left.y\right\vert x\right\rangle =0
\end{displaymath}

同様に、図2.4 (b) の $y$ 偏光の実験より、次の 関係が得られる。


\begin{displaymath}
\left\langle\left.x\right\vert y\right\rangle =0,\qquad \left\langle\left.y\right\vert y\right\rangle =1
\end{displaymath}

(数学的に厳密に考えると、 $\left\langle\left.x\right\vert x\right\rangle $ は絶対値 1 であればよく、$\exp(i\delta)$ のような複素数の形が許される。 事実 $\exp(i\delta)$ と考えても、矛盾のない体系を 作ることができるが、複雑になるだけなので簡単のために 1 とする。)

図 2.4: $x$ 偏光、$y$ 偏光の正規直交性。(a) $x$ 偏光、 (b) $y$ 偏光
\includegraphics{fig/state.pol-ortho.eps}

以上の四つの関係は、まとめて、次のように表すことができる。


\begin{displaymath}
\left\langle\left.j\right\vert k\right\rangle =\delta_{jk}
%e1
\end{displaymath} (2.1)

$j$ は、$x$ 偏光状態または $y$ 偏光状態を代表している。 また、$k$ も同様である。 $\delta_{jk}$クロネッカーのデルタ(Kronecker delta)であり、 $i$ の状態と $j$ の状態が等しいときのみ 1 で、 その他のとき 0 となる量である。 また、$i$ は、虚数単位の $i$ 以外には使わないようにしている。 この関係は、いま、考えている「状態の組」、$x$ 偏光状態と $y$ 偏光状態が、互いに独立なことを示し、直交(ortho)であるという。 また、同じもの同士がとる確率振幅が 1 であることを、 正規(normality)であるといい、あわせて、式2.1正規直交(ortho-normal)であるという。




問題2..1 $\theta$ 偏光が、$\theta'$ 偏光板を通る確率は、 $\cos^2(\theta-\theta')$ である。 $\left\langle\left.\theta\right\vert\theta'\right\rangle $ を求めよ。簡単のために、 $\left\langle\left.\theta\right\vert\theta'\right\rangle $ は実数と考えてさしつかえない。

答え $\qquad \left\langle\left.\theta\right\vert\theta'\right\rangle =\cos(\theta-\theta')$ である。 負にしても良いが、通常、 $\left\langle\left.\theta\right\vert\theta\right\rangle =1$ となるように 決める。


問題2..2 $\theta$ 偏光状態が、$x$ 偏光状態をとる確率振幅、 $\left\langle\left.x\right\vert\theta\right\rangle $ を求めよ。 また、$y$ 偏光状態をとる確率振幅、 $\left\langle\left.y\right\vert\theta\right\rangle $ を求めよ。

答え $\qquad \left\langle\left.x\right\vert\theta\right\rangle =\cos\theta,\quad
\left\langle\left.y\right\vert\theta\right\rangle =\sin\theta$


問題2..3 $\theta$ 偏光の光子を、分波器に入れると、必ず、$x$ 偏光の出口か、 $y$ 偏光の出口のどちらかに、現れることを示せ。

ヒント 確率の和が、1 になることを示せ。




任意の状態の光子を、図2.5のように、 分波器により「一組の状態」に分け、再び合成する実験を行うと、実は、 何もしない直通の通路を通ってきたのと同じになってしまう。 光子を、分波器によって分けると、必ずどちらかの出口に現れることから、 それを再合成しても、光子は失われることなく、合成器の出口に必ず 出てくることは、容易に想像される。 しかし、その出力状態そのものまでが、分波器に入る前の状態に 保持されてくるというのは、不思議といえば不思議である。 とは言っても、これは実験事実なのだから、そのまま受け入れざるを得ない。 直観的に理解するには、窓のようなものを考えるとよい。 窓が一部閉まっていれば、つまり、二つの通路のうち、どちらかが 閉鎖されていれば、窓のところで何かが起き得るが、窓が全部、完全に 開いていれば、窓のところでは何も起きないはずである。 さて図2.5の結果を式に表してみよう。 分波して合成する過程は、ちょうど、第1章で扱った二スリットの 干渉実験に似ており、重合わせの原理が成立する。 そこで、入り口で $\psi $ の状態が、出口で $\chi$ の状態をとる 確率振幅は、二つの通路の確率振幅の和で与えられる。


\begin{displaymath}
\left\langle\left.\chi\right\vert x\right\rangle \left\lang...
...ight\rangle
\left\langle\left.y\right\vert\psi\right\rangle
\end{displaymath}

これが、通路を直通にしたときの、$\psi $$\chi$ をとる確率振幅 $\left\langle\left.\chi\right\vert\psi\right\rangle $ に等しいことから、次式が成立する。


\begin{displaymath}
\left\langle\left.\chi\right\vert x\right\rangle \left\lang...
...right\rangle =\left\langle\left.x\right\vert\psi\right\rangle
\end{displaymath}

あるいは、$j$$x$ 偏光状態、$y$ 偏光状態として、次にように 書くことができる。


\begin{displaymath}
\sum_{all\ j}\left\langle\left.\chi\right\vert j\right\rang...
...gle
=\left\langle\left.\chi\right\vert\psi\right\rangle
%e2
\end{displaymath} (2.2)

「一組の状態」、この場合は $x$ 偏光状態と $y$ 偏光状態が、この式を 満たすことを、完備(complete)であると呼ぶ。

図 2.5: $x$ 偏光、$y$ 偏光の完備性
\includegraphics{fig/state.pol-complete.eps}

さて、任意の状態 $\psi $ の光子を、分波器で、$x$ 偏光状態と $y$ 偏光状態に分けるだけの実験をしてみよう。 この場合、光子は、問2.3$\theta$ 偏光状態の 光子の結果と同様、$x$ 偏光状態または $y$ 偏光状態のいずれかの出口に 観測され、その確率の和は 1 となる。 つまり、


\begin{displaymath}
\vert\left\langle\left.x\right\vert\psi\right\rangle \vert^2+\vert\left\langle\left.y\right\vert\psi\right\rangle \vert^2=1
\end{displaymath}

あるいは、$i$$x$ 偏光状態と $y$ 偏光状態とすると、次式が 成立する。


\begin{displaymath}
\sum_{all\ j}\vert\left\langle\left.j\right\vert\psi\right\rangle \vert^2=1
%e3
\end{displaymath} (2.3)

この式を、絶対値(absolute value)の二乗が、それ自身とそれ自身の複素共役の 積となる、つまり、$\vert z\vert^2=z^*z$ となることを利用して書き直そう。


\begin{displaymath}
\sum_{all\ j}\left\langle\left.j\right\vert\psi\right\rangle ^*\left\langle\left.j\right\vert\psi\right\rangle =1
\end{displaymath}

一方、式2.2で、$\chi$$\psi $ とすると、 右辺はある状態が、自身と同じ状態をとる確率振幅となり、1 となる。


\begin{displaymath}
\sum_{all\ j}\left\langle\left.\psi\right\vert j\right\rangle \left\langle\left.j\right\vert\psi\right\rangle =1
\end{displaymath}

これら二式は、互いに酷似していることがわかる。 $\left\langle\left.\psi\right\vert j\right\rangle ^*
=\left\langle\left.j\right\vert\psi\right\rangle $ ならば、両関係は完全に一致してしまう。

もしこの関係が一般的に成立すると、任意の二状態 $\psi $$\chi$ の間にも、次式が成立することが示される。


\begin{displaymath}
\left\langle\left.\psi\right\vert\chi\right\rangle ^*=\left\langle\left.\chi\right\vert\psi\right\rangle
%e4
\end{displaymath} (2.4)

この関係は共役性(conjugate)と呼ばれるが、この関係を一般的に仮定しても、 量子力学の体系には、少しも矛盾が生じない。 それどころか、後述のように、線型代数との素晴らしい対応関係が得られる。 偏光実験における、$x$ 偏光状態と $y$ 偏光状態のような 「一組の状態」は、式2.1で示される直交性と、 式2.2で示される完備性の、双方の性質を 持っている。 このような、特別な性質を完全(perfect)であるといい、また完全な「一組の 状態」のことを、対象としている物理系の「基底状態(base states)」と呼ぶ。




問題2..4 任意の状態 $\psi $ に対して、 $\left\langle\left.\psi\right\vert j\right\rangle ^*
=\left\langle\left.j\right\vert\psi\right\rangle $ が、成立するものとして、 式2.4を証明せよ。

ヒント 2.2、および状態 $\chi$ に対しても、同様な 関係が成立する。





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Yoichi OKABE 平成19年6月30日