丁友会合唱団 (丁唱)

最終更新日: (創設: 2001-11-07)


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丁友会合唱団とフォーレ・レクイエムの演奏史

written by 服部

東京大学工学部の学生有志が1951年に設立した「丁友会合唱団」(以下「丁 唱」と略す)は、安田講堂事件を頂点とする学生紛争のあおりを受けて、すなわ ち東大が入学試験を実施できず、男声団員の補充がままならなかったことが原 因で消滅しました。本年は丁唱創立50周年の年に当たりますが、合唱団は現在も 再興されていません。しかし、OB・OG の活動は比較的活発で、設立時から1960 年代初頭までの約10年間在籍した OB・OG が中心となり、東大工学部とは無関 係に活動を進めています。それも、最初は不定期に10数人程度が集い懇親を深め る形で進められていましたが、やがて種々交流の催しが開かれるようになりま した(「歌う会」もその一つです)。また、全年代に声を掛けて名簿を作成し、 同窓会や忘年会を開催したりもしています。

「歌う会」は最初、メンバー宅に第5日曜日に集まるサロン活動としてスター トしました。やがて毎月1回、目黒区の公共施設音楽室に集まり練習をするよう になり、合宿も行っています。メンバーが増えるにしたがい、練習曲目もまとまっ たものを取り上げるようになり(2000年曲目;シューベルト・ドイツミサ、高田 三郎「心の四季」、源田俊一郎編曲「ホームソング・メドレー:ドイツ・オー ストリア編」)、2001年はフォーレ・レクイエム (Faure Requiem) を取り上げ ています。丁唱にとって、フォーレ・レクイエムは特別の縁がある曲ですので、 そのことについてメモしておきます。

1. 随筆「コモのみずうみ」伊藤隆太 (出典;日本医事新報 No.3979, 2000.7.29)

丁唱の初代指揮者であった伊藤先生(東邦大名誉教授)が医事新報に寄せた随 筆には、先生が丁唱発足にかかわったいきさつや、片山敏彦詩集にある「コモ のみずうみ」を合唱曲にし初演したこと、フォーレ・レクイエムのスコアを入 手し、ハモンドオルガンとハープを入れて本邦ステージ初演となる演奏を行っ たことが語られています。丁唱では、伊藤先生が「フォーレに始まって、フォー レが続く」と仰っておられるように、初演後もフォーレ・レクイエムの演奏を 続けました。

2. 日本におけるフォーレの演奏史 (出典;「フォーレ頌・不滅の香り」日 本フォーレ協会編、音楽之友社 1995) より

オーケストラの演奏会では、前項で述べたように戦前にはピアノと管弦楽の ための《バラード》、《月の光》といった曲目しか見出せないが、戦後は《レ クイエム》と《ペレアスとメリザンド》が二大人気曲目といった様相をみせて きた。プロフェッショナルなオーケストラの公演で《レクイエム》が演奏され たのは、1953(昭和28)年1月14日、日比谷公会堂における「東京交響楽団第50回 定期演奏会」(指揮斉藤秀雄、独唱浅野千鶴子、秋元雅一朗、合唱成城合唱団) が最初とみられる。もっとも、それに1ヶ月ほど先立つ 1952(昭和27)年12月6日 に、東京大学音楽部管弦楽団が《レクイエム》を演奏しており(指揮伊藤隆太、 独唱岡部多喜子、須賀靖元、合唱丁友会合唱団、合唱連合有志)、オーケストラ 版ではこれがおそらく日本で初めての演奏といわれたそうである。《ペレアス とメリザンド》の日本初演は、1961(昭和36)年6月22日に小沢征爾が指揮する日 本フィルハーモニー交響楽団によって ------

3. 東大オーケストラ演奏会記録 (出典;「東大オーケストラ45年史 1920-1964」東京大学音楽部管弦楽団 1964) より

 「東大学生芸術の集い」
  1952.12.6(昭27)
  於 法文経31番教室
  指揮伊藤隆太
 管弦楽のための三楽章 ------------ 池田正義
 組曲「道化師」よりカバレフスキー
 鎮魂ミサ曲* フォーレ
  独唱岡部多喜子(MS)、須賀靖元(B)
  合唱丁友会合唱団および合唱連合有志
 合唱 三匹の蜂

 * 原編成のままで演奏会においては本邦初演

(補足その 1)

45年史の「東大オーケストラ年表」の方を見ると、演奏日が12月16日となっ ています。どちらがミスプリか確認していませんが、「フォーレの演奏史」が 12月6日としているのでその方を正しいものとして記載しました。

(補足その 2)

東大オケの正指揮者は、瀬戸口藤吉、遠藤宏、長井維理、山本力、早川正昭、 小林研一郎 ---- へと受け継がれています。伊藤先生が東大オケを指揮された いきさつや、昭和27年前後の先生の活動に関心のある方は、「45年史概説」(太 田雅夫記)の次の記事を参考にしてください(伊藤先生のお名前は「東大駒場管 弦楽団」の項などにも登場しますが割愛します)。

「 ----- 指揮は昭和11年以来依然として長井維理氏だったが、戦後、学生 時代から作曲等に頭角をあらわしていた伊藤隆太氏が練習の始めの方でトレー ナー的に棒をとられるようになった。これに池田正義氏も加わって、昭和20年 代の中頃は事実上三人の指揮者がいたと言ってよいだろう。特に伊藤氏は昭和 21年より練習台に立ち昭和23年には自作指揮をし、昭和25年から始まった学生 歌演奏の編曲、指揮をされ、それは昭和34年、早川正昭氏にひき継がれるまで 続いた。常に長井氏を前に立て、オケの運営にも貴重な助言をされた戦後中興の 功労者と言ってよいだろう。東大オケも徐々に再興し昭和28年には五月祭のアル トラプソデイーの演奏で五月祭賞を受けるまでになっていた。

しかし、放送、各種奏楽等の臨時の演奏は五月祭以外毎年の決まった演奏 会もなかった関係上かなり多く、演奏の何週間か前に予定が示され、それから サッと仕上げねばならなかったので、指揮をする方もかなり不本意できつかっ たと伊藤氏自身言っておられる。

又六大学交響楽団のことも見落とせない。昭和25年頃から、戦後の日本再興 の機運に乗り、六大学音楽連盟が生まれ、文化放送を通して、ジャズ、軽音楽 の各大学にまざって東大はオケが「アルルの女」等のクラシックで対抗してい た。さらに昭和28年になってクラシックだけの六大学交響楽連盟が結成され、7 月、伊藤氏の指揮によって放送、12月には結成第1回の演奏会が東大24名、慶応 15名、早大13名、立教9名、法政6名、明治17名、計84名で行われたが華々しい デビューに対し、第一回定期演奏会で終わってしまった。昭和28年には六大学関 係の出演が実に6回を数えている。

以上

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岡部 洋一